僕の苦い思い出。
名無し
17/02/19 11:00(最終更新日時)
僕には苦い思い出がある。
22歳の時に働いていた食品工場。
ブラジル人や国籍不明の人が日本に来て、働いていた。僕はその中に紛れ、食肉の運搬を保冷庫からリヤカーで出して製造機に入れるという重労働を経験した。
ブラジル人のボボ(僕の中だけのあだ名)は腕の毛が密集して生えていた。食肉のミンチがリヤカーの中に生で入ってるのも吐き気がしたが、ボボのそれはさらにミンチと絡み合い、毛が混じった食肉が冷凍食品としてライン工程で紛れないか心配した。
女性のパートは楽そうだった。工場の女性は比較的楽だ。ただ、同じ場所に立ち続けるという事が苦でないなら。
僕は冷凍庫にあるミンチを両手ですくってはリヤカーに移す作業と製造機に入れる作業をして、心底疲れた。
僕はボボが何か叫んでいるのを見た。「まだ終わらないのか?」みたいな事を工場長にボディランギレッジで示していた。
無理もない。朝8時からその工程で働き20時を回っていたからだ。まるで、映画カイジの様な世界だった。
仕事が終わってのビールは格別だった。
肉体労働の身に染み渡る。
結構筋肉質だったボボも疲労感を見ていたので、僕の疲労がどれほどのものか想像できるだろう。
女性のパートと僕の時給は同じだった。男女差別に感じた。食品工場は男にとって過酷なとこであった。
楽な食品工場も経験したが、やはり立ち続けるというのは至難の技だった。翌日仕事に行く気力さえ湧かなかった。
冷凍食品工場、だし巻き卵工場、コンビニおにぎり工場ライン、コンビニぶっかけうどん工場ライン…様々工場は毛がした。ライン以外は地獄だった。
ボボのその後は私は知らない。
休憩はAライン,Bライン…Dまであった。各ラインごとに休憩時間になると笛が吹かれて一斉に交代で休憩になる。
喫煙組と非喫煙組は同じ休憩室で休まねばならなかった。
覇気のない顔の数々…。若い女性はなかなか見かけなかった。見かけたら声をかけるつもりだったが、熟女しかいなかった。熟女にも一応声はかけた。
様々な仕事を私は経験してきた。
皆さんは冷凍食品食べますか?
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